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  Search The Thing

『Search The Thing』第二回
〈日本映画:青春の蹉跌〉

つまづくこと、しくじること!ああ、それが青春か!!…この漢字<蹉跌/サテツ>が読めなかった私こそ、しくじってる…。

 皆さんの中で『青春の蹉跌』を知ってる、リアルタイムで見たっていう人、一緒に話がしたい。多分私の父母の年齢ぐらいの人たちだろうけど。なんたって1974年作…私、できれば70年代に年頃の女でいたかったんですが…実際は、ぎりぎり最後の70年代生まれです。
それはさておき、この映画を見たのは夜中のテレビ。映画の前後に解説が入ったのだが、そのバックに流れていたサウンドに、先ず私はシビレタ(くらげか?)。PYG(ピッグ)“NOW THE TIME FOR LOVE(自由に歩いて愛して)”という、小さいテロップをテレビの端に見て以来、探し求め、この曲が収録されているCDまで買ってしまいました。ふーん、この映画の主役萩原(ショー)健一(ケン)がボーカル。作曲・ギターの井上堯之(ザ・スパイダース)はこの映画の音楽担当。いやー、はまりました。もう一人のボーカル:ジュリー(ザ・タイガース)の甘い声にショーケン(ザ・テンプターズ)の枯れた声が絡みつく感じとか…。なんといっても、このPYG、すごく豪華なメンバー!…が、ゆえに短命で終わってしまった幻のバンドらしく。今で言えば、スマップからキムタク、トキオから長瀬、嵐からマツジュンとか?こう、いいとこ取りで寄せ集まったメンバーなわけです。でも、どう考えても上手くいかんわな…。一つのバンドに、スターだらけだと、不満もでるでしょう。誰がスターなんだ!と(笑)。
≪監督・脚本≫
監督→くまちゃんこと神代(くましろ)辰巳。日活ロマンポルノ出身。資金不足により低予算ポルノ路線を打ち出すしかない会社側と、なんとか1本作りたいという情熱を持った若い監督たち…その中で頭角を現した神代監督。だからか、この作品も、なにかっちゅうと抱き合っている感じが…。一番ありえないと思ったのが、“江藤賢一郎(主人公で家庭教師:萩原健一)を待ってる大橋登美子(桃井かおり)が、セーター脱いで下着姿でクマのぬいぐるみを持ってる”というシーン。今の二人を思い出して、目が点状態。ああ、ほんと若い!何もかもが。
脚本→長谷川和彦。原作をかなり外した感じで出来上がっている。ショーケンがアメフトしてるけど、あれは長谷川さん自身の学生時代の姿らしい。そんな訳で、映画では体育会系な熱さ・若さが溢れているが、原作では、主人公がとにかく“司法試験に合格し上昇したい”という欲の熱さしか感じられない。そして、二人の女を自分の出世の役に立つ(バックに力がある女=田中康子:壇ふみ)か、妨げになる(遊びの女=登美子:桃井かおり)かの判断でしか見ることが出来ない悲しい男の姿がある。最後まで“女に足を掬い取られて悪夢を見る”という点は、映画も原作も共通なのだが…。
ストーリー的には、主人公が二人の女の間で行ったり来たりし、結局は邪魔になった、将来役立ちそうに無い女を殺して、金持ちの娘と結婚するほうを選ぶという、単純明快なもの。その骨組みをもとに、あの時代のニホンの印象的シーンが…という感じ。政治に対する反発・デモ行進 ― 生活の中で身近に感じられた怒り・対抗心。それとは別に体のなかで煮えたぎる欲望。社会と自己、引き剥がされる作り物の現実とホンネ。あの時代、若者達は細い体を精一杯動かしていたように思える。

 


≪音について≫ 
登美子に騙されるかたちでスキーに行く賢一郎。女が男をオンブしてスキー滑ってる…これはなかなか出来ないぜ、普通。シーンごとに何度か流れるピアノリズムは、一瞬の楽しい気持ちをよく表してる。ただ、ショーケンが“エンヤトット エンヤトット マツシマ(松島)〜ァノ”と低い声で歌う声が流れると、ムカツキ・苛立ちに包まれる。この声、いつまでたっても耳から離れない。賢一郎が飲みに出かけるクラブでは、赤座美代子(元学生運動家。賢一郎の友人の彼女役)、が『プカプカ』とか、なんともイイ歌を歌っている。陰を陰として大事に扱うことが上手だったあの時代…というわけで、短いけれど大切に見て・聞いてほしいシーンでもある。
≪映像≫
それにしても、場面つなぎが結構強引…。関係あるのか?と思われるような映像が数秒流れ、またさっきの続きが始まったり。印象的なのは、たった一人黙々と無表情で、スタンドを立てた停めたままの自転車をこぐ登美子。そして、何度か流れる赤ん坊の丸い顔に『what to do next』の文字と音声。さあ、どうする、どうする!女の体に、胎児が育つ!見えない間にどんどんと!堕ろしてないぜ、あんた(賢一郎)の子供は! “赤ん坊の映像”が可愛らしいイメージではなく、恐怖心をあおる小道具に大変身。家業のクリーニング店、一着一着に白く細長い伝票が垂れ下がり、その服たちの間を、皮肉っぽい笑いをもって息をしてる登美子―私タチノ、アカチャン。それとは逆に、社長の娘で裕福からくる、自信家の康子―コレカラ、私ダケニシテクダサラナイ?
不安そうな登美子と、賢一郎の苛立ちの中での会話。
「…それとも、最初っから、体だけだった?」
「冗談じゃないぞ、堕ろしてこいよ!」
「ケチ!」
恨めしい目を、男に向けて、最後はもういいとばかりにシャワー室へ駆け込む。二人の浴衣の柄は同じで、布団の上で一緒に寝そべっていても、心と体はバラバラバラ。悲しい。

 クライマックス。雪山をオンブし、オンブされで、賢一郎と登美子が苦しそうに歩いて行く…なぜ前に進むのか分からないが、足は勝手に進むようだ。これは二人の行く末、子供の行く末を暗示する。軽々とオンブしてスキーを楽しそうに滑っていた、あの二人は何だったんだ。トレンチのショーケンとのコートの桃井。雪の上を谷底めがけて、喧嘩どころか最後には首を締めながら二人、滑り落ちていく。このシーンは見てるだけでも、寒く恐ろしい。このシーンを撮る時、怪我をしないようにと、岩を取り除いて準備しているのを見ていた桃井が、「早くやってぇ!」と叫んだらしい。私だったら、「命綱お願いします!」と叫んでると思う(なさけねぇ)。神代監督だって、「怪我しないとは限らない状態で撮った」って書いてるし!

 ああ、それにしても、ショーケンが細くて、長い足にパンタロンで、白いトレンチコートがよく似合ってて、かっこよすぎる。衿の出し方とか、チョコチョコと手のしぐさにグッと心を捕まれます。アルコールのボトルのキャップを片手で外す時の手もいい。

 賢一郎は登美子を殺した後、康子と婚約して、自転車に乗る練習をいっしょにしたり、足をくじいた壇ふみをオンブして楽しそうにしてる…幸福と不幸の間をシーソーのように行き来して、最終的には警察に犯人として認識される。手がかかる直前、賢一郎はアメフトをしていて、派手な音を立てて首の骨を…幸にも死んだか、重体か…で、エンドロール。

原作では捕まって塀の中で「腹の子供は自分の子ではなかった」ことを知らされる(映画でも、警察はその事を喋っており、観客にのみ知らされる)。映画と原作、死と生で大きな違いはあるが、これは原作内で書かれていた、“司法試験の出題”を思い起こさせる。 ―「死刑廃止論と存続論の比較と得失を論ぜよ」…って、人生2度の経験のような。原作者、石川達三は映画を見て、原作との違いに怒ったらしい。ほら、でも、こんなに原作を上手く使っているではありませんか。賢一郎の死をもって死刑論を映像化…かな。

 しかし、あの首の骨が折れる音、クスリと笑ってしまう。原作で、賢一郎(いわゆる男)は頭のなかで常に考え事をしていたりするせいで、女より優位な感じを受ける。だけど、「食べる?」と八朔か何かを連れ込み宿(古い!)で剥く女(映画内の登美子)と、みかんを電車のなかでイタイケに食べる女(原作内の登美子)と、何の違いがあるだろうか。柑橘系果実を男はあまり喜ばない。どっちにしたって、男に見つめられることを希望した行為。視線を絡みとることに成功した女は、腹の子供とともに、最後まで嘘(アナタノ子供)を孕みつづけ、男の運命まで絡みとってしまった…しかし、不幸。

 30年以上の時間を空けて、私の部屋の壁には『青春の蹉跌』の角張った太文字がでかでかと縦に書かれた、当時のポスターが貼られています。ショーケンの額に丁度割れたガラス…デザインがすごくいいなと感心であります。

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